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女「解禁したったwwwww」【後編】






―――――土曜日・オープンキャンパス―――――

木曜・金曜にお義姉さんと段取りを打ち合わせした。
志乃はやっと抜糸して、包帯が取れて嬉しそうだ。

見学者の付き添いを装った僕と志乃で、大学を散策する。

制服を着ていれば親切にしてもらえるだろうから、
なるべく多くの関係者に接触せよ、とのことだった。
あの人はなんでも簡単に言う。

「大学って広いね。いっぱい建物がある」

志乃はきょろきょろしている。

「離れるなよ」

さすがに、ここではあまりくっつかない方がよさそうだ。

「ちゃんとついてきてー」

「お前が自由すぎるんだろ」

関係者に接触といっても、こんな広大な敷地から、こんな沢山の人から見つかるわけがない。
他校の生徒はもちろん、おそろいのTシャツは学生部だと判別できるとして、ほかの学生は私服だからわからない。

「どうしよ。もう誰が誰だか」

「確かにこんだけ人がいれば、出会い放題かもしれないな」

志乃が僕をにらむ。

「ああ、そういうんじゃなくて、ほら、あいつは取っ替え引っ替えだから」

「ああ」

「そうするにも、そもそも替える相手が要るだろ。
 もちろんここだけじゃなくて、他大学と交流したりバイトとか合コンだってあるだろうしなぁ……
 出会おうと思えば出会えないこともないんだろ」

「うわぁ、めんどくさ」

志乃は露骨に嫌悪感を示した。
そうまでして不特定多数の女に手を出したいか、ということらしい。
まあ、僕だってごめんだ。

「困ったな。どうせ学内に元カノ多すぎ引いたwwwww
 とか言って笑い飛ばせると思ってたんだけど、その元カノすら特定できそうにないぞ」

「困りましたなぁ」


志乃はいつの間にか、学生部が配布しているかき氷をもらっていた。

「そのへん座ってさ、作戦練ろうよ」

と、広場のベンチを指す。

「作戦……作戦ねぇ」

ハナからそんなものはないけど、志乃はやる気だ。
僕も具体的な策はないし、従うことにした。

「チャラい奴が集まるとこってどこだろ」

「どこだろうな」

(体育館裏……いや、それは一昔前の不良だ)

「そもそも今日は来てなかったりして」

彼女はさらりと恐ろしいことを言う。

「そうかなあ。大量の女子高生が来るとわかってるのに」

「となると、クラブ紹介やってるサークルとか……
 あー、それだと多すぎるしなぁ――あうっ」

かき氷がしみたのか、頭を押さえた。

彼女を眺めながら、僕は先端が匙になったストローを口に運ぶ。
9月とはいえ、日中はまだまだ暑い。
冷たいものはありがたかった。

「いっぱい人がいるね」

「そうだな」

「私、やっぱり何も知らないんだね」

どうしていいか全然見当がつかず、彼女は勝手に自信をなくしたようだった。
僕だって、同年代の中じゃ結構頭いい方だって自負してたけど、その自信が揺らいでいる。

「志乃はえらいよ」

「そうかなぁ」

「ちゃんと逃げずに考えてるからえらいよ」

彼女は不思議そうな顔で、溶けた氷を吸っている。

「俺はそういうとこ好きだ――」

誰かが後ろから僕の頭をはたいた。

振り向くと、パンフレットを丸めて腕を組んだお義姉さんが立っていた。

「おねーさん!」

志乃の目がきらきらしている。
いい加減な人だけど、やっぱり年長者だし、いれば心強いらしい。

「仲睦まじいのは結構だけど、今は働きなさい。義弟」

「いや、その、作戦会議中でした。……週末の夜を楽しめたようですね」

それは彼女にとって「今日は一段ときれいですね」を意味する。

「うふふ。口が上手いのね。それに、さっき思わず調達できちゃってね。
 説明してあげるから、先にそれ食べちゃいなさい」

僕は志乃が食べ終わるのを待って、空になった器を捨ててきた。
お義姉さんが志乃の隣に座る。

「さっき、手首切った子がいてね、吸ったついでに救急車呼んだの」

「離れちゃまずいでしょ」

「離れなきゃまずいのよ」

お義姉さんが言うには、この近くのアパートから血の匂いがするから行ってみたところ、
そこの住人の女子大生が睡眠薬を飲んで手首切っていたらしい。
無関係の人間が通報したとあっては、なぜそこにいたのか聞かれると都合が悪い。

「あの程度じゃ死なないから、ちょっぴりいただいちゃった」

とお義姉さんは笑う。

「通報にはあの子の携帯を使ったから、足はつかないわ」

ついでに、お義姉さんは有力な情報までちゃっかりいただいてきたらしい。

「それでね、さっきの女の子、どうやら依頼人にちょっかい出されてたみたい」

メールを盗み見したようだ。

「あなたには個人情報とかプライバシーとか――」

言いかけてやめた。

(あなたにそういった概念はないんでしたね)

「遊び人がそんなめんどくさそうな人と付き合うかな?」

確かに、普通の女の人なら遊ばれたところで自殺未遂はしない……と思う。
元々、危ういところがある人だった可能性はある。


志乃は立ち上がって、僕の手を引く。

「学食いこ。おなかすいた」

「今かき氷食べたろ」

「あれは甘い水。おなか膨れないよ」

と、いちごのシロップで赤く染まった舌を出す。

(うーん、ぺろぺろしたい)

「じゃあ、行くか。お義姉さんもどうです?」

お義姉さんは考えていた。

(この人が即決しないなんて珍しいな)

「行ってみようかしら。学食って珍しいし」

「いこいこ。大学って初めてー。ふふんふーん」

志乃は適当な建物に向かって歩いていく。

「おーい、そっちじゃないぞ」

「え、違うの?」

僕は構内見取り図の載ったリーフレットを開いて見せる。

「食堂……本部棟……?ほんとだ」

「お前、自信満々で迷うよな」

「おどおどしたって仕方ないじゃない」

「いや、ここで言われてもかっこよくない」

本部棟に向かう途中、掲示板があった。
さっき僕らがいた広場はいわゆる「外向き」の告知が多かった。

「……お、晒しage」

こういう「内向き」のは、学生の行動範囲にあるようだ。
どうやら試験やレポートをすっぽかして、その期の単位を全て棒に振った学生がいるらしい。

「あらら。もったいない」

「……ねえ、私、この名前見たことある」

お義姉さんが目を大きく開いた。

(この人でも驚くことあるんだな)

「どこでですか?」

「どこだったかしらねぇ……」

「しっかりしてくださいよ」

「ん、でも見たのは本当よ。どこで見たか、ちょっとド忘れしただけよ」

「もー。食べながら考えようよ。のんびりしてると混んできちゃうよ」

志乃は僕とお義姉さんの背中を押した。


―――――本部棟・食堂―――――

テーブルを囲む。

「なんか私たち、すごいカレー好きな人みたいだね」

確かに、三人ともカレー買ってくるとは思わなかった。

「先週もごちそうになったしな。ナオミの部屋で」

(そして俺はナオミの民……)

慣れてきたが、勤務先名称を思い出す度、げんなりする。

「まあ、あまりハズレがないものねぇ」

「お義姉さん、どんだけ福神漬け欲張ってるんですか」

「だって赤いんですもの」

「それのどこが血に似てるんですか」

「色よ。……いいじゃない。プラシーボよ」

(それは自分を騙し切れてないだろ……)

「おねーさん、思い出した?」

「だめねぇ……。どこだったかしら」

僕は二人を交互に眺めながら食べ進める。

「考えるのもいいけど、食べないと冷めますよ」

「ああ、そうだったわね。……ほんとどこだったかしらねぇ」

お義姉さんは上の空。
志乃は難しい顔でスプーンを口に運ぶ。

僕は気分を変えたくて、サーバーに水を汲みにいく。
トレーにコップを3つ取って、学生の列に並ぶ。

(おお、お茶も出るのか……。聞いてくればよかったな)

僕は真顔を保ちながら、カルチャーショックを受ける。

僕のすぐ後ろに、少し派手な人たちが並んだ。
誰かの噂をしているらしい。

「あの人、見ないと思ったら単位ゼロだって?」

「えー、なにそれ。真面目そうなのに」

「何考えてるかわかんなくてちょっと怖かったけどさー、悪い人じゃないよね。ノートコピらせてもらったし」

「あんたは自力で勉強しなよw」

さっきの掲示板に貼られていた人のことらしい。
僕は進学するつもりなので、真面目に通おうと思った。

「あの人、あれ? ヒッキー体質ってやつ?」

「さあー? でも地味な子でよく集まってたよ。
 ……なに? 気にしてんの? 仲よかったっけ?w」

「そんなんじゃないしwww
 ただ、やっぱり助けてもらったからお礼くらい言っときたいじゃん?」

「あー、それはあるねー」

「あのテスト必修だからさー。やばかったんだよね。
 来年後輩と一緒とかまじ勘弁wwww」

「あはははははははは」

(うーん、聞いてると頭がわるくなりそうだ……)

「そういえばあいつ見なくね? 佐伯」

「あっ」とか「え?」とか声をあげそうになったが、なんとか飲み込んだ。

「あー、テスト期間の途中から見てないわ」

「どうしたんだろうねー」

「あれじゃね? 今頃どっかでヒモしてたりして」

「うひゃひゃひゃひゃwwwありうるwwwwww」

「そういえばあの子が佐伯といるの、見たことあるわ」

「えー? まじで見境ないね、佐伯ー。
 あの子処女っぽいじゃん。めんどくさそーw」

後ろの二人の会話に聞き耳を立てているうちに、僕に順番が回ってきた。

(しかし、なんだなぁ。人の話は聞いてみるもんだな)

僕は3人分の冷水を持って、テーブルに戻った。


「あ、春海おかえりー」

「ただいま――お義姉さん、たぶん掲示板に貼られてた人、
 依頼人の関係者ですよ。関係があったんじゃないかと。その、あっちの意味で」

「あら、どこで聞いたの?」

「そこのサーバーに並んでるときに、後ろに並んだギャル二人が噂してました。
 依頼人と、その、掲示板の人が一緒にいるのを見たそうです」

「君、やるじゃない。この福神漬けを分けてあげましょう」

「要りませんって」

「思い出したわ。さっき私が見つけた、手首切った子。あの子の携帯の履歴に、その名前が」

「彼女、印象はどんな感じでしたか」

「そうねえ……意識がなかったから話せてないんだけど。取り立てて特徴もなく……」

「地味、ってことですか」

「そうなるかしらねぇ」

「じゃあさ、友達同士の女の人が二人いて、両方に手出したってこと?」

「ありうる……」

自分で持ち帰った情報に、もっともな仮説がついて辟易する。

「うえぇ」

志乃が情けない声を上げる。僕だってそうしたい。

「さ、行くわよ」

お義姉さんが席を立った。

「どこにですか」

「さっきの子のアパートよ。今なら留守でしょ」

「家捜しじゃないですか!」

「このままだと彼女か依頼人、最悪どちらかが死ぬわよ」

お義姉さんは僕らを省みず、さっさと食堂を出てしまう。
僕は仕方なくついていった。


―――――車内―――――

お義姉さんの車は、白い、ころんとした形の軽自動車だった。

「意外と普通の車に乗ってるんですね」

「どこにでもいそうな女って思われた方が都合がいいのよ」

どうやって免許を取ったのかは聞かないでおこう。
あんなものやこんなものを操作したり取引しているんだろう。

お義姉さんは少し車を走らせると、駐車場に停めた。
助手席に座っていた志乃が、後部座席に座る僕の隣に来た。

「すぐ戻るから、あなた達はここで待ってなさい」

「大丈夫なんですか?」

「見つかることはないけど――
 なにか、調べた方がいいものはないかしら」

「パソコンの中身とか、あと手紙。携帯は本人と病院に行ってるでしょうから……」

「手帳は?」

志乃がつけたした。

「ああ、それなら予定や簡単な日記になるな。
 お義姉さん、特にテスト期間――7月から8月半ばに注意してください」

「おっけー。行ってくるわ。いい子にしてるのよ」

お義姉さんはそう言うと、車から降りて行ってしまった。

志乃はそわそわしている。

「どうした」

「べつにー」

いつもなら、二人きりになったところで股間に志乃まっしぐらなのに。

「おとなしいな」

「だって禁止されてますし」

彼女は下を向いて膝をすり合わせるようにもじもじしていた。

「もしかしてトイレ? たしか角にコンビニあったから行ってくれば?」

「ちがうもん」

「そうか」

「そうですとも」

僕は志乃の手を取って、手のひらを上に向けた。
傷は完全にふさがっているが、赤く何本も筋が残っている。
その両脇に、ぷつぷつと糸の跡が小さく残っている。

「よかったな、包帯取れて」

「うん。手が涼しい」

(こういう心配ごとがあるときは、志乃から手をつないでくるんだけどな)

「志乃、何か言いにくいことあるだろ」

「ないあるよ」

「どっちだよ」

「ない。ないよ」

あまり追及しないでおく。

「解決するの、怖いか」

志乃が顔を上げた。

「いや、なんとなくだけどね」

「トモちゃん、どうなるんだろう」

「どうなるんだろうな」

「女の人、死のうとしちゃった」

「お義姉さんが助けただろ」

「呪いが終わっても繰り返すのかな」

「そうじゃなきゃいいな」

「……うん」

志乃はうなずくと、小さくため息をついた。

しばらくすると、お義姉さんが戻ってきた。
さすがに今日みたいな人通りの多い行事のある大学の近くじゃ、簡単に姿を消したり現したりできないんだろう。

「ただいま。あなた達の言ったとおりだったわ。
 移動しながら話すから、シートベルトしてちょうだい」

お義姉さんはまた、行き先も言わずに発車した。

「パソコンにはパスワードがかかってた。
 あまり長居はしたくなかったから、中身は見てないわ。そのかわり、これ」

と、デジカメを僕に渡す。
撮影したもののプレビューを確認する。

「手紙、あったんですね」

「これ、来たものじゃないよ。出す前の手紙だ」

よく見ると、宛名が掲示板に貼られていたものと同じだった。

「手帳には、妹の言ったとおり、日記みたいなものが書いてあった」

お義姉さんがかいつまんで説明する。


――友人の好きな人を好きになってしまった。

――あの人は私を選んで、抱いてくれた。とても幸せ。

――でもすぐに後悔した。

――相手の男は遊びのつもりだった。私は怒った。

――友人に謝ろうと思った。でも彼女は許してくれない。

――謝りたいけど、連絡がとれない。電話もメールも拒否。

――会いに行ったけど、居留守を使われているようで会ってもらえない。

――手紙を書いてみる。開封してもらえるか保証はない。

――どうか届いてほしい。でも、怖い。

――彼女は学校にも来なくなってしまった。数日後にはあの人も。

――ごめんなさい。

――どうして私だけ。

――ごめんなさい。

――やっぱり、死んじゃったほうがいいのかも。



同情すると同時に、「身勝手だ」と思った。

志乃は唇を噛んで、難しそうな顔をしていた。

怒っているのかもしれないし、気の毒に思っているのかもしれなかった。

交差点の赤信号で停まった。
お義姉さんが前を見据えたままで言う。

「右に行けば依頼人の家。
 左に行けばもう一人の女の家……どうする?」

「トモちゃんのお兄さんのとこ!」

志乃が弾かれたように即答した。

「お前……」

「もし……もしもの話だけどね。
 おねーさんの助けた人が、呪われて自分を切っちゃったなら……
 もしそうなら、次はお兄さんが危ない」

――死ねばいいのにって思っちゃった。

嫌悪感丸だしで呟いた、志乃の横顔を思い出す。

――ただ、関わりたくないだけ。

灰で指を汚した、佐伯さんの顔を思い出す。

「お義姉さん、俺もそう思う。依頼人の家に行きましょう」

信号が青になる。
女吸血鬼の駆る、白の軽は右折した。


―――――佐伯・兄のアパート―――――

玄関の前で、お義姉さんが番号を控えていた依頼人の携帯に電話する。
部屋の中から着信音が聞こえる。
いやな予感がした。

「佐伯さん! 佐伯さん、開けてください!」

自分でも驚くほど大きな声が出ていた。
ドアをたたく。何度もインターホンを押す。

「春海……」

志乃の顔がゆがむ。そんな、手遅れだったみたいな顔はしないでくれ。

「どきなさい、義弟。ちょっと入って、中から開けてくるわ。人が来ないか見ててちょうだい」

お義姉さんは言い終わらないうちにドアをすり抜けてしまった。
内側から、鍵の回る音がする。
僕は乱暴にドアを開けた。

「来ないで!」

踏み入ろうとした瞬間、お義姉さんに制止された。


立ちふさがるお義姉さんの向こうに、倒れた依頼人の男の姿があった。
黒い、虫のような、影のような黒いものが男にまとわりつきながら部屋中をうごめいている。

「なんだよ、これ――」

「救急車を呼んでちょうだい。妹を連れて走って!」

僕は志乃の手を掴んで走り出していた。

数十メートル走ったところで、公園に来た。
親子連れが何組かいる。少し安心した。
公衆電話から119番に電話した。

「あの部屋、そんなに危なかったの?」

志乃がへたりこむ。

「わからない。お義姉さんが、お前を連れて逃げろって」

「おねーさん、大丈夫かな」

「大丈夫だよ。お前が会いたいって思えば、来てくれるだろ」

「うん……」

志乃とベンチに座り、手を握って無言の時間が過ぎる。
どれくらい経ったかわからないが、救急車のサイレンが聞こえた。

「あの人、助かるかな」

「助かるといいな」

「うん……。私、助けようとしたけど、でもまだわからないよ」

「そりゃ、嫌な奴だからな」

「そろそろ、救急車ついたかな」

「そう遠くないからな」

少し間をおいて、サイレンが戻ってきた。

「ほら、運ばれてるみたいだぞ」

「うん」

今度はお義姉さんのことが気がかりなようだった。

「お義姉さんのこと呼んでみれば」

志乃は目を瞑って、握った手に、祈るように力を込めた。

僕がお義姉さんを呼べるわけではないが、一緒にそうした。

「呼んだ?」

目を開けるとお義姉さんが立っていた。

「無事だったんですか?」

「あれくらいならなんともないわ。
 ただ、彼――踏み込むのがあと2~3日遅かったら危なかったわね」

「普通の医療で治せるものですか?」

「彼の場合、根本を叩かないとだめね。
 入院すれば、持ち直しはしないけど現状維持はできる」

「行くわよ」と、お義姉さんは僕達を立たせた。

「どこへ?」

志乃は聞くが、彼女はたぶん、答えを知っている。

「彼は保護した。標的は手の内にある。次は術者を叩くわ」

お義姉さんは歩きながら、振り向かずに言った。


―――――術者の女のアパート・駐車場―――――

車の中で、お義姉さんは僕らに言い聞かせる。

「あなた達は終わるまでここで待ってるのよ」

「もう、俺達がすることはないんですか」

「手伝ってもらうのは術者や動機の特定まで」

お義姉さんはそう言うと、ドアを締めて目的の部屋の前まで歩いていった。
僕と志乃は、身をかがめてその様子を見守る。

「ねえ、私考えたんだけど……」

「なに?」

「この呪いを殺したらどうなるのかな」

「うーん、お義姉さんが言うには、人が死なずに済む……んだよな」

――呪いは最悪、人を殺すわ。
  跳ね返されれば、術者が死ぬ。
  昔から言うでしょ?人を呪わば、って。


「うん。私が気になるのは、その先の話」

「ああ、言ってたな。繰り返すのかって」

「お兄さん、元からあんなだったのかな」

「どうだろうな」

「あの人が今、してることは悪いことだよ。
 でさ、今回は助かったとして、また女の人を傷つけて、
 相手が悪かったら呪われて――いたちごっこじゃない?」

「うん。俺もそう思う」

「おねーさんはそれでも始末し続けるんだろうけどさ。
 根本の解決ってなると、また違うと思うんだ」

「やっぱり志乃はちゃんと考えててえらいな」

志乃は少し舌を出して笑った。

「おねーさん、手こずってるみたいだね」

「人通りないんだから、さっきみたいに壁スルーして突入すればいいのにな」

「できないんじゃない?」

お義姉さんの生態はよくわからないが、考えられる。
僕はお義姉さんに電話をした。
すぐ近くにいるのだから、直接声をかければいいように思ったけど、それは怖い気がした。

「――どうしたの?」

「お義姉さん、入れないんですか?」

「うるさいわね。ちょっとドアに触ったらバチバチって跳ね返されるだけよ」

「それ、諦めたほうがよくないですか」

「ねえ、代わって」

志乃が僕の肩をつついて小声で言う。
電話を彼女に持たせた。

「おねーさん、志乃です。入れないの?
 ――うん。……うん。……うーん。あのね、中の人に開けさせられないかな?
 ――うん……難しいよね……うん。とにかく、一度戻ってきてほしいな」

志乃は勝手に通話を終了して、僕に携帯を返した。
お義姉さんはまだ、ドアの前で何か考えている。

しばらくすると、車に戻ってきた。
彼女は運転席に座ると、ハンドルに突っ伏した。

「人間にとってちょっとくらいの不可能なら、私にはないのよ」

(こりゃ負け惜しみだな……)

「ええ、でも、現実に入れなかったじゃないですか」

「あの子、オカルトにでもかぶれてるのかしら。
 呪術って見よう見まねでも、うっかり発動しちゃうのよね。結界とか」

「最近は盛り塩セットとかパワーストーンとかスポットとかありますからね」

「けったいなモノ流行らせてくれるわね……」

お義姉さんは憎々しげにドアをにらんだ。

「自分から開けさせられないかな?」

志乃が遠慮がちに口を開いた。

「それなら接触できるけど、どうやって開けさせるの?」

「そうっすねぇ……居留守使ってたりするんですよね」

「それにずっと見かけないって。ひきこもり……?」

「なら、なおさら難しいわね」

三人で同時に深く長くため息をついた。

「あなた達を突入させるわけにもいかないし、鍵もかかってるだろうしね……」

僕なら、相手が誰ならドアを開けるだろう。

「宅配はどうですかね。ピザなんて頼んだかな作戦」

「もう、まじめにやって」

志乃が軽く僕を叩く。

「その発想は間違ってないと思うのよ……」

お義姉さんは前髪をかきあげた。

「……エサ」

志乃が低く呟いた。
少し震えている。
自分で言ったことの意味がわかっているのだろう。

僕が志乃の言葉を繋ぐ。

「おびきよせることはできませんか。エサを使うんです」

「人間の考えることって、えげつないわね」

(あんたこそ相当ですよ)

「で? エサには何を?」

「依頼人は?」

「昏睡してるわ。もう一人の女の子もだめ」

「おねーさん、変身できない?」

志乃が真顔で言う。
少しおかしかったので、笑いそうになったけど堪えた。

「できないこともないけど、魂の形まではごまかせないのよね……」

「たましい」

僕はなんとなく繰り返していた。

「そうよ。あの部屋はきっと結界になってる。そうなると、姿形だけじゃごまかせないわ」

「魂の形って、そんなにはっきり見分けられるの?」

「目の良さの度合いにもよるけど、赤の他人だってことくらいはわかるわ」

「じゃあ、その形が似てる人っていうのは?」

「家族や、血縁者……肉親でなくても、同じ施設でずっと一緒に育ってきた人物……
 抽象的な言葉は苦手だけど、絆っていうの?そういった結びつきのある人ね」

(志乃、お前まさか――)

志乃が口を開く前に、僕が言ったほうがいい。

「依頼人には、妹がいますよね」

志乃がはっとして僕を見る。

「彼女に囮を頼めないでしょうか」

「あなた、自分が何を言ってるか――」

「わかってます。彼女の安全を守るのは前提として、の話です」

「春海、だめ。だめだよ」

志乃が僕の袖を掴んで首を振る。
やっぱり、彼女に言わせなくてよかった。

「彼女に危険が及ぶのであれば、却下します」

「……わかった。彼女を呼び出せる?
 操ることもできるけど、戦う前に疲れることはしたくないの。
 何より、本人の意志を無視するのは気が進まないわ」

「連絡先は知っています。俺よりはお義姉さんが連絡する方がいいでしょう。
 お兄さんのかかりつけのカウンセラーだとか言って」

そのために、彼女は肩書きを使っているはずだ。

「そうね。あなた達はただの同級生……。いいわ。彼女の連絡先を教えてちょうだい」

僕は佐伯さん(妹)の携帯の番号を教えた。
この間、志乃が交換していたのだ。


―――――大学の最寄り駅・喫茶店―――――

お義姉さんは佐伯さんに会う約束を取り付けると、また移動してここまで来た。
ここで佐伯さんと合流するらしい。

「彼女、怪しんでたわ。了解してくれたけど」

「やっぱり、そうですよね」

「どうする?ここで待っててもいいけど」

「いえ、ついていきます。言い出したのは俺だし――巻き込んだ責任を感じるっていうか……」

「そう。任せるわ。好きにしなさい。
 ――そろそろ来るわね。ついてくるなら先に車乗ってて」

と、お義姉さんは僕にキーを持たせた。

「志乃はどうする?」

「私も行く」

志乃は席を立った。



―――――車内―――――

僕は助手席に、志乃は運転席の後ろに座った。

「ほんとのこと話したら、トモちゃん怒るよね……」

「だろうなー。俺から話そうか?」

「ううん。私が話すよ。春海、さっき私の代わりに言ってくれたんでしょ」

(さすがに察したか)

「あまり気にするなよ。俺だって同じこと考えたんだ――ほら、来たぞ」

お義姉さんが佐伯さんを連れて近づいてくる。
佐伯さんが助手席の僕に気づいたらしく、一瞬険しい顔をした。
お義姉さんが乗り込んだ後、後部座席のドアが開く。

「あんた達――」

「ごめん、トモちゃん」

志乃が言い終わらないうちに、佐伯さんは志乃の頬を打っていた。

「……ごめん」

志乃は頬をさすることもせず、下を向いて詫びた。
僕は何も言えなかった。

「言い訳は後で聞かせて」

佐伯さんはそれだけ言うと、黙りこんでしまった。

(うーん、予想はしてたけど気まずい……)

この場合、それぞれに事情があってこうなったわけで、佐伯さんの怒りもごもっともなのだ。

(でもいきなり平手はないよなぁ。きれいに振り抜いてたし)

(しかしお義姉さんは、どうやって佐伯さんを女のアパートに同行する気にさせたんだ)

(そこに転がり込んでる可能性があるから、とかそんな感じかな)

今は下手に考えを巡らせても、何にもならないように思えた。
ここからはお義姉さんの本職の領域だ。


―――――術者の女のアパート・再び―――――

「さ、降りるわよ。妹さんも」

「はい」

佐伯さんは淡々としていた。
さっさと車を降りて、どの部屋に愚兄がいるのかと建物を睨んでいる。

「ほら、あなたも」

「俺もですか?」

「そうよ。術者がドアを開けたら、彼女には失神してもらう。
 倒れたときに頭でも打っちゃまずいでしょ」

「私は?」

「妹はそこにいなさい」

志乃は、やっぱり叩かれたことがショックみたいで、力なくうなずいた。

玄関前で、お義姉さんは佐伯さんに適当な説明をする。

「前、訪ねてみたんだけど、私じゃだめだったわ。
 ちょっと呼びかけてみてもらえないかしら。
 ここに住んでる彼女に話が聞きたいの。
 だからお兄さんじゃなくて、彼女を呼んでみて」

佐伯さんは訝しげにしていた。
わざわざそんな注意を丁寧にされちゃ、かえって怪しい。

「……わかりました」

佐伯さんは、部屋に向かって女の名前を呼んだ。
何度か呼びかけたところで、中で人の動く気配がした。

「春海君、来るわ」

ドアが重たげに開く。
同時に、佐伯さんは卒倒していた。

慌てて佐伯さんを支える。
玄関には、依頼人の部屋で見た影のようなぼんやりとした輪郭の、黒い虫のような粘菌のような固まりがいた。

(これが呪いの元……?)

「義弟よ、今から口を開くんじゃないわよ」

お義姉さんが僕に命じる。
ついでに、佐伯さんの口を手で塞いだ。

「あら、女だろうが男だろうが、誰だって嫉妬は醜いわよ」

お義姉さんは黒い固まりに語りかける。
固まりはうごめきながら、お義姉さんに影を伸ばす。

「あんたはお呼びじゃないわ!」

彼女が手で払うと、影の先端は霧のように薄くなって消えた。

(お義姉さんつええ……)

お義姉さんはさらに言葉を続ける。

「あなた、男を見る目がなかったのよ。今なら立ち直れるわ。友達ともやり直せる」

呪いはまた、彼女に伸びていく。
彼女はまた、それを払う。

「そんなものと同化したって、あなた幸せになれないわ」



「何もかももう遅いの!みんな死ねばいいのよ!」



中から、そう聞こえた。
術者と言われる、女の声だった。

「馬っ鹿ねぇ。その程度で人生詰んだなんてめそめそするんじゃないわよ!」



「うるさい! なによあんた! あんたも殺してやる!」



「聞いたわね?」

お義姉さんは、これを待っていたとばかりに、にやりと笑った。

呪いが、初めて僕らの方へ進んでくる。
ゆっくりとしていたが、足がすくんで佐伯さんを連れて逃げるなんてことはできそうになかった。

「義弟よ、逃げる必要はないわ」

お義姉さんは自分の口に、手を突っ込んだ。

(何をする気だよ、この人は――)

手とともに、何か柄のようなものがずるずると抜かれる。

(これは……剣だ……)

お義姉さんの口から、剣が抜かれていく。
その長さは、どう見ても彼女の胴体に収まるようなものではなかった。
お義姉さんは剣を携え、構えるでもなくだらりと立つ。

「ほら、来なさいよ。私を殺すんでしょう?」

空いた手をくいくいと動かして挑発する。

「お、おまえ……おまえは――ッ!」

呪いが女の人から、完全に分離した。



「地獄の門番が、門前払いに来てあげたのよ」



彼女はそう言うと、固まりを頭から縦に両断した。



お義姉さんは剣を飲み込んで、

「さ、帰るわよ」

と、何事もなかったように言った。

「……」

「もう口を開いてもいいわ」

「……彼女は放っておいていいんですか」

「大丈夫。運ばれた二人も、じき良くなるわ」

お義姉さんは佐伯さんを担ぐと、アパートの扉を閉めて車に歩きだした。
僕は慌ててついていった。

車の傍まで戻ると、志乃が車から降りて僕に飛びついてきた。
何も言えないらしく、やっと「うー」とか「んー」と言った非言語な声を出しながら額を擦りつけてくる。

「ハハハ、こやつめ」

「もう、ふざけないで」

お義姉さんが呆れながら、僕らを車に押し込む。

「この子には感謝してるけど、置いて帰りたいわね」

と、ぼやきながら佐伯さんをぞんざいに後部座席に積み込んだ。

「お義姉さん、それ笑えないですよ」

「なんでよ。この子、妹を叩いたのよ」

「そりゃ騙してたんだから、怒るのも無理ないですよ。
 俺が後ろに座ってたら、叩かれてたのは俺だったと思いますよ」

「そのおかげで命拾いしたのに?
 呪いが兄を食ってたら、次に危ないのはこの子だったのよ」

「たとえそうとわかっていても、割り切れないんですよ」

お義姉さんは納得いかない、といった風に鼻から息を出すと、運転席に乗り込んだ。

「今度はどこ行くの?」

「彼のアパートに戻るわ」

「病院はいいんですか?」

「親族でもないのに、いち早く駆けつけちゃおかしいでしょ」

「それは、そうですけど」

確かに、真っ先に連絡が入るのは実家だろう。
今頃、ご両親に知らせがいっているのだろうか。
走り始めてすぐに、佐伯さんは目を覚ました。

「あら、起きたみたいね。トリガーハッピー」

(随分な言いようだな……)

「移動……ですね。どこへ?」

今の佐伯さんは仏頂面で、何を考えてるかわからない。

「あそこにお兄さんはいなかったわ。
 もう一度自宅を訪ねてみるの」

佐伯さんは、うんざりする、といった感じのあてつけがましいため息をついた。

「あの、トモちゃん――」

志乃がおずおずと口を開く。

「なによ」

志乃のおどおどした態度が気に入らないのか、佐伯さんの不機嫌に拍車がかかっているようだ。

「ごめん、騙してた」

「そんなの、あんた達がこの車に乗ってるの見た瞬間に察しがついたよ」

(ああ、志乃に手を上げたときが、怒りの頂点だったか)

「私をつけてたのは、きっとその人ね」

と、お義姉さんを指す。

「確信は持てなかったけど、鏡やショーウインドーに、この人は常に映ってた。
 でもまさか、女が女をつけるなんて思わないでしょ」

(確かに)

「だけど私の場合は別よ。
 はじめは、また兄貴のとばっちりだと思った。
 でも、ずっと手を出してくる気配がなかったから、どう出ていいかわからなかった」

「そこに私が」

「そう」

「そのときは単純に、助かったと思った。だけど今は――私、はめられたんだね」

「ばかみたい」と彼女は吐き捨てた。
その瞬間、乾いた高い音が響いた。
思わず振り向く。

「あんた――」

佐伯さんが頬を押さえている。
志乃は半分泣き出していた。

「……悪いって思ってた……思ってたよ……。
 でもああするしかなかったんだよ。
 危ないんだよぅ……ほんとに死んじゃうんだよ……」

ちゃんとした説明なんてしたら、今度は頭がおかしいと思われるのがオチだ。

(お兄さんを呪いから救うためにがんばってました、なんて言えるわけないよなぁ)

志乃は言葉に詰まって嗚咽していた。
佐伯さんも、頭で処理しきれないのか、叩かれて混乱したせいか、静かに泣いていた。
僕だってきっと何も言えなくなるに違いない。

「何よ、湿っぽいわね。喧嘩してくれてた方がましだわ」

お義姉さんが隣で困っている。

(でも喧嘩したら、うるさいって怒るんだろうな……)

僕は勝手に想像して、勝手に理不尽だと思った。

「いいんですよ、あれで」

うーん、平手で語り合う女か。こわい。
だけど僕は、ルームミラーごしに二人を眺めながらどこか安心していた。
この方が恨みつらみは残らないと思う。というのは僕の思いこみか。
でも、その読みは合っていてほしい。


―――――佐伯(兄)のアパート・再び―――――

「あなた達も降りなさい」

お義姉さんは一言だけ言って車を降りると、部屋の前まで行き、そのまま勝手に入ってしまった。
物は少ないのに、荒れていると感じさせる部屋だった。

「いないじゃない――」

「お兄さんは――」お義姉さんが佐伯さんに語りかける。

「お兄さんは、精神的に危ない状態だったの。
 あなたは怒りっぽい割に賢そうだから察しがつくと思うけど、女の人にずっとつけ狙われてたのよ」

「当然の報いじゃないですか」

佐伯さんは吐き捨てた。

「まあ、そう言わないでおいてあげなさい。
 彼、私のところに相談に来たときには、かなり消耗してた。
 精神的疲労からくる不眠――それに起因する過労、食欲不振、栄養失調――
 私は通院を勧めたんだけど、どうしてもそういった科にかかることに抵抗があったみたいね。
 家族に心配かけたくないって言い張ってたわ」

「あいつが、家に気を遣うなんてありえない」

佐伯さんは一歩下がった。
肘がぶつかり、棚を揺らした。
棚に置いてあった灰皿が落ちて、そのままになっていた灰がフローリングの床に撒かれた。


彼女が動揺しているのは明らかだった。
視線がせわしなく揺れている。

「この子達は、私が助手として雇ってるの。
 彼からは話を聞くけど、誰だって自分に都合の悪いことは話したがらないわ。
 だから、情報を補完する必要があった。
 それでこの子達に、あなたに接触してもらったのよ。
 あなたには悪いと思うけど――あまりこの子達を責めないであげて」

「そんな――うそだ。あいつはクズだ!」

佐伯さんが叫ぶ。響きは悲鳴に似ていた。

「そうよ。彼のしてきたことは外道そのもの。
 私だって聞いてて虫酸が走ったし、いつ刺されたっておかしくなかったわ」

お義姉さんは、テレビ台の上で倒れていた、フォトフレームを起こした。
僕と同じ年頃の依頼人と、10歳かそこらの佐伯さんが、カメラに向かって笑っている写真だった。

「なんで、こんなもの……」

佐伯さんが怯えた目で、写真を見つめながら首を振る。

「この頃の思い出があるから、あなたは直接彼に怒りをぶつけられなかった」

攻撃性がないわけでもなく、陰湿そうでもない、そんな彼女の報復する手段は、あまりにくだらなかった。

「お兄さん、目的と手段が逆転してしまったのね」

「う――くぅっ……」

落ちた、と思った。


佐伯さんはぼんやりと、ランドセルを背負ったフレームの中の自分を見つめている。

「この頃は、まだよかったな……」

懐かしんでいるのか悔いているのか、僕にはわからない。
お義姉さんが佐伯さんに歩み寄り、僕らに見せた写真を渡す。

「勝手に拝借してたの。返すわ」

佐伯さんはそれを、力の抜けた手で受け取った。

「ああ、これ……人生で一番嫌だった時期の私だ」

思春期が「人生」なんて言葉を使うのは、大仰に思えたけど、これまでが短かろうと人生は人生だった。

「まあ、適当に察して。難しい時期で、中学にあがって他の小学校から来た子達と初めて一緒になって――
 社交辞令にどう返していいかわからず、合わせることもできず、それでいて半分、周りを馬鹿にしてた。
 そんな群からはぐれた人間を未熟な社会がどうするか、想像つくでしょ」

彼女は片方の唇の端を歪めて笑った。
始めにお義姉さんに見せられた兄の写真と、よく似ていた。
彼女は美人なのに、それはそれは嫌な笑顔だった。

「佐伯さん、はじめは男子に人気あったんじゃない?」

たぶんそうだろう。
そうだからこそ、反感を買う。
彼女は立っていることに疲れたのか、壁に寄りかかると、そのままへたり込むように床に座った。

「それも、はじめだけ。結局同じクラスで私を助けようとする男はいなかった」

くだらないと思った。
これだけが原因ではないだろうが、火に油を注ぐことになったのは違いない。

「お兄さんは自分が容姿に恵まれてることを自覚してたわね」

「むかつくけど、そうですね」

その上、皮肉なことに彼女と兄はよく似ていた。

「兄は身なりや話題とか、振る舞いに気をつかうようになって――
 登下校のときや、行事なんか――よくついててくれるようになりました。
 すぐに女子が目の色変えてすり寄ってきたの、ほんとばかみたいだったな……」

(女をたぶらかすのが、妹を守る手段だったわけだ)

(まさに、ただしイケメンに限る防衛手段……)

(うん、やっぱりむかつく)

「胸くそ悪かったけど、表面的には平和になった。
 しばらくは兄もまともで、その頃はまだ、仲良かったし、今じゃ考えられないけど自慢のお兄ちゃんだった」

彼女は床を見つめながら述懐する。

「いつからかお兄さんの中には、女性嫌悪が芽生えた。
 妹を苦しめておいて、自分が出てきた途端尻尾を振ってくる愚かしさに。
 さんざんひどい扱いをしておいて、妹をつてにして自分と繋がりを持とうとしてきた浅ましさに」

「それは図々しい」

思わず声にしてしまっていた。
だけど、お義姉さんは僕をたしなめたりしなかった。

「そこに集約されてるかもしれないわね。
 はじめは、敵がはっきりしていたからよかった。
 自分は妹を守る。妹に類が及ばなければ御の字。
 だから、妹が攻撃されてる間、彼は揺らいだりしなかった。
 皮肉だけど、そのころの方が気持ちは安定してたはずよ」

「兄は、女が憎くなったところで、憎むべき敵を見失ったんですね」

「もちろん、彼も全くの馬鹿じゃなかった。
 理性ではふつうの女も、いい女もいるって理解してた。
 だけど、どうしても自分によってくる女性が嫌なものに見えて仕方なかったんでしょうね。
 あいつらが勝手に寄ってくるって話してたわ。もちろんそれは嘘。
 彼は知らず知らずのうちに思わせぶりな態度をとって、ときにはわざと気を持たせてはこっぴどく振っていた」

(うーん、俺が事情を聞いてたら殴ってそうだ)

志乃は同情すべきか怒るべきか迷っているようで、何か噛みつぶすような顔をしていた。
佐伯さんの表情筋はゆるみきっている。

「さっきも言ったけど、彼の中では手段と目的が逆転していた」

「佐伯さんを守るために、女をたぶらかす、だったのが――
 女をたぶらかさなければ、敵がいなければ、戦っていなければ安心できない。そういうことですか」

「そうよ、春海君」

「彼は私のところに来て、こう訴えた」



――妹も女だ。母も女だ。家族まで憎くなってしまう。
  俺、何なんだ。何のためにこうなったんだ!



あの写真に映った、にやけた顔を思い出す。
あの男が半狂乱で助けを求めているのを想像するのは難しかった。
それが呪いのせいか、徐々に狂っていった自分のせいかわからないが、恐ろしい感覚だろうと思う。

「私から説明できるのはここまで。
 あとは兄妹、話し合うなり拳で語り合うなりして解決してちょうだい」

お義姉さんは、本当にすべてを話してしまったようで、沈黙した。
僕も志乃も、何も言えそうになかった。
佐伯さんも、凝り固まったわだかまりに楔を打ち込まれ、どうしたものか戸惑っているようだ。

(現状が嫌でも、それを打破するのってエネルギー要るんだよな)

だけど、この先どうするかは彼女が決めなければならない。
依頼人も、してきたことを覚えてる人はいるし、恨みに思う人もいる。そこから進まなければならない。

(これはこれで、残酷かもしれないな)

僕はそんな風に、ひねくれたことを考えていた。

部屋のどこかで、携帯が鳴った。


志乃がきょろきょろする。僕と目があったので、首を横に振って「俺じゃないよ」と伝える。

「――ああ、私のだ。ごめん、親から」

佐伯さんが我に戻って、電話にでる。

「――あ、お母さん。仕事は?
 ――入院?兄貴が?――で、大丈夫なの?
 ――うん、うん。……わかった。そうする」

佐伯さんは電話を切って、髪をぐしゃぐしゃにかきむしった。

「お兄さん、入院したのね?」

お義姉さんが気遣うそぶりを見せる。

(自分で通報しろって言ったくせに……。女優だな)

佐伯さんは鞄をひっつかんで立ち上がった。

「あの、すみません。お願いなんですけど――」

「言ってみなさい」

「私を、兄のいる病院まで送ってほしいんです」

唇をきゅっと結んでいる。彼女の目に、力が戻っていた。


―――――帰路・佐伯朋美と別れた後―――――

日が暮れようとしている。
今日は出来事を詰め込めるだけ詰め込んで、その上でさらに乗せてきたような一日だった。
つまり、僕は疲れていた。
お義姉さんの車の後部座席で、志乃は僕の肩に頭を乗せている。

「寝てていいよ」

「眠くない」

お義姉さんとルームミラー越しに目が合った。

「私のことなら気にしなくていいわ。妹がお腹すかせてるなら飲ませてあげて」

「ちがいます!」

こういうくだらないことで、少しずつ日常が戻ってきていると思う。

「トモちゃん、どうなるのかな。お兄さんも、女の人たちも」

簡単に「大丈夫だろ」とは言えない気がした。

「妹、私たちの仕事は終わったの。ここからは彼らの責任よ」

「わかってるけど、気がかりで――」

「みんな、これからじゃない。
 ちょっと道を外れたからって自棄になられちゃたまったもんじゃないわ」

「なにもかもが不確定ですか」

良くも悪くも、お先真っ暗。
視界は自分で拓けということか。

「あら、わかってるじゃない、義弟。
 あなたたちは、彼らがやり直すチャンスを掴んだことを祝福すればいいの。
 こっちが心配したって、破滅するのも成功するのも彼らの勝手よ」

言い方は冷たいが、僕には優しい言葉として受け入れることができた。

「事務所に帰ったら祝杯にしましょう。
 ……あ、祝杯っていっても、酒はだめよ。未成年ズ」

お義姉さんは上機嫌でハンドルを切る。

「すすめられても飲みませんって」

「あたしお寿司がいい」

「おまえなー」

「いいわよ、一番いいやつ頼んじゃう」

「だっておめでたいじゃん。ことぶきだよ。お寿司」

「あー、もー、わかったよ」

志乃に屈託のない笑顔が戻った。
こんな事件は、お義姉さんの下で働く限り続くんだろう。
僕はお義姉さんのように強くはなれない。
志乃のように爆発的な力を出すこともできない。

(となると、やっぱり勉強かな……)

僕は僕なりに、強くなろうと思った。

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