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女「有効利用したったwwwww」【前編】






少し寒いような気がして、眠りから覚めた。

(一応、秋か)

まだ眠っていたい。
僕は閉じたまぶたに力を入れる。
脚が寒い。
股間は暖かい。
ていうか……気持ちいい……だと……?

気付いて上半身を起こしたときにはもう遅く、僕は射精していた。

(あああああやっちまったああああああああ)

いくらお義姉さんがエロ関連に寛大だとはいえ、汚すのは申し訳ない。
自責の念に駆られそうになったが、そんな考えはすぐ消えた。

僕の下半身にかかった布団が不自然に盛り上がっている。
呆れながらはぎ取ると、案の定志乃がうずくまっていた。

「んむ……おあおー」

「おはよう」と言いたいらしかった。
志乃は最後の一滴までしっかり吸い取ると、満足そうに口元をぬぐった。

「寝込みを襲うなよ……」

なんだかもったいない気分でいっぱいだ。

「いっぱいでたよ!」

力強く親指を立てて、いい笑顔で言ってくれる。

「言ってくれればいいのによー」

「お腹すいたん……。寝てたし、起こしちゃ悪いかなって」

久々に嗅ぐ、イランイランの香りだった。
たった今、放出してすっきりしたはずなのに、陰茎に硬度が蘇ってくる。
志乃はそれを見て、目を輝かせながら指の腹で撫でている。
下腹のあたりがぞわぞわする。

「こら。志乃、くすぐったいって」

「ふっふっふー。上の口ではなんとかかんとか。下の口では――」

「俺に下の口はないぞ」

「あ、そうか」

彼女は唇をとがらせる。
うまいこと言い損ねたのが不満なんだろう。

「まだ吸い足りないか」

「うーん、まだいけるー」

と、棒を握りながら口を開けて近付ける。
僕は志乃のおでこを押さえてそれを制する。

「ぬうう……よいではないかよいではないか……!」

「だからくすぐったいんだよ。いじらせろ。俺にエロいことをさせろ」

「やだー!」

腕を掴んで引き、志乃を抱え込んで倒れる。

「ははは。上の口ではなんたらかんたら。下の口では――」

戯れながら指を下着に滑り込ませる。
昨晩はきかえたばかりなのを汚さない為の、僕の粋な計らいである。

(……これは……笑い事じゃないな)

「まだ何もしてないんだけどなー」

志乃は顔を伏せている。耳が赤い。

その様がかわいいと思ったので、耳を舐めた。

「ひっ、ぅああう」

情けない声を上げて体をよじる。

「どうした、リアクションが面白いぞ」

「だ、だめ。それだめ」

彼女は僕の肩を押して離そうとする。

「うんうん。これは開発の余地ありだな」

「ないない! ないって!」

「フロンティア精神だ。向上心のないやつは馬鹿だ」

「股間を硬くしながら言ってもかっこよくないぞー!」

「はっはっは。照れるな照れるな」

僕は志乃の体の線をたっぷり撫でて堪能する。

「んんっ……何で朝から元気っ、なんだ……」

「いやぁ、お義姉さんに相談すると決めたら少し吹っ切れてな」

「だからって吹っ切れすぎっ……もう!」

耳にいきなりぬらりとしたものが入ってきた。
水っぽい音がぺちゃぺちゃと響く。
なぜか腰のあたりがくすぐったいようなうずきに襲われた。

「うぁああそれらめえええええ」

「ほらー、だめじゃん」

(なぜ勝ち誇る……)

「妙に明るいな。健康的すぎて萎えるぞ」

萎えはしないけど、この調子じゃいつまでもじゃれあってるだけだ。

「えー。やだそれ屈辱」

「これはこれで楽しいけどなー」

ひとしきり笑った後、志乃が黙っていることに気付いた。

「どうした、志乃」

「べ、べーつにー」

「なんですか。明るいエロスではなく淫猥でぐちょぐちょしたのをお求めですか」

「いや、そこまでは」

「べっつにィー。平気ですしー」

「平気じゃないんだろー。不完全燃焼なんだろー」

「んー……言わなきゃだめ?」

「求められたい」

「うぅ……」

「さあ! レッツ!」

「そ、そりゃあイキたいかって言われたらイキたいですけどー?」

「もう一声!」

「う……ゆ、指入れて……」

(ハイ、おかずいただきましたー)

志乃は消え入りそうな声で言うと、僕の腕の下に隠れようとした。
ぺたりと触れた頬が熱かった。

「うんうん。えらいぞ志乃」

僕は幸せである。
たとえ寂しい不気味な夢を見ようと、猫に祟るとおどされようと、僕は幸せである。
再び、志乃の中に指を侵入させる。

「自分が口でしただけなのに濡れてるの、恥ずかしかったんだ?」

志乃は涙目でこくこくと繰り返しうなずく。
心なしか、指を包む粘膜がきゅっとなった気がした。

「大丈夫だ。口の中も性感帯だ」

「今まではふつうだったのにぃ……」

「そりゃ開発されたんだろ。あとは気分とか?」

指を抜き差しすると、液がとろとろ流れてくる。
もう一本入れると、志乃の体が跳ねた。

「あ、大丈夫か?」

「ふっ、うん……平気」

首を抱えて顔を寄せ、唇を重ねた。
僕が舌先で唇をなぞると、彼女も遠慮がちに舌を出して応じる。

(腰が動いてるのは言わないでおこう)

言ったら、恥ずかしがって振り出しに戻りそうだ。
こうして会話しながら淫靡な行為に耽るのも乙なものだと思う。
せっかく恥じらいを一旦隅に置いてくれたのだから、思い出させることもないだろう。

志乃はたっぷり時間をかけて楽しんだ後、果てて僕の横に倒れると、そのまま少しの間眠った。

「志乃、志乃ーおきろー」

「んん……ふぅ」

(満足そうな顔してやがる……)

フルボッキで待機している僕をそのままに、眠った。

(これは……後でねっとりやってもらおう)

志乃が復活するまでの時間が残酷な焦らしプレイであった。
あと、ずっと下半身丸だしでいたことに気付いて、少しへこんだ。
何よりパンツを穿き直すべきか迷って、その逡巡のくだらなさに気付いて、またへこんだ。


――――――

せっかくの土曜日なのに、仕事だ。
その仕事を依頼するのは僕だ。
憂鬱だけど、面倒なことはさっさと済ませた方がいい。

(志乃も言ってたしなー)

――春海一人の体じゃないんだよ!

(……握りながら言われると他意を感じるが、心配はしてくれてるんだろうしなー)

事務所に入ると、お義姉さんは帰ってきていた。

「あら、どうしたの、この世の終わりみたいな顔して」

「まだそこまで落ち込んじゃいませんよ」

「それは落ち込む可能性があるってことね」

「まあ、そんなところです」

お義姉さんは今日もきれいだった。
ただ、その場にいないと顔を思い出すことができない。

「……深刻そうじゃない」

「わかりますか」

「わかるわよ。空気が読めないわけじゃないわ。普段は読まないだけよ」

(わざとやってたのかよ……)

「まあいいわ。ちゃちゃっと本題に入ってちょうだい」

お義姉さんはコーヒーカップに口をつけながら、立てた指をくるくる回す。
「巻きでよろしく」ということか。

「あの、俺、呪われてるっぽいんですけど」

立ち向かってやろうとは思ったものの、実際相談するとなると、その事実を受け入れなければいけない。
口にするのは抵抗があった。

「ふーん……」

お義姉さんの目がまっすぐ僕を見つめる。
虹彩はロシアンブルーのエメラルドじゃなかった。

呼吸ができない。
お義姉さんはしばらく僕の目の奥から何かを読みとろうとしていたけど、やめたらしい。

彼女は長く息をつくと、まだ湯気の立っているコーヒーを一気に飲み干した。

「やっぱり呪われてなんかないわよ。何をそんなに心配してるのかしら」

被害妄想だとか気にし過ぎだとか言い捨てないあたり、気にはかけてくれているらしい。

僕は夢の話をした。
覚えている限り、全て話した。

「それが本当なら、私の手には負えないわ」

すっと寒くなった。

自分が何も考えていなかったことが、行動を起こして5分で露呈した。
戦ってやると肚をくくったつもりが、結局はお義姉さんに依頼すれば何とかなるとタカをくくっていた。

(志乃に合わせる顔がありません……)

(やっぱ俺ってヘタレなんかなー)

視界の端に入った指輪の輝きも、ずーん、と鈍かった。

「その猫は祟るって言ったのよね。それなら私の専門外よ。
 呪いと祟りは違うの。そこはわかるわよね」

「ニュアンスの違いくらいは……。
 人が誰かに害を与えようとしてこう、怪しげなことしたりするのが呪いで、
 霊とか神様とか――動物霊もあるかな――そういったのが人間の行いに報いる形で出るのが祟り、ですかね」

「あら、大筋ではわかってるのね。それなら話が早いわ。
 私は呪い専門。私は、祟りのことは門外漢。私はね」

――私は殺し屋よ。呪い専門の。

(待て待て。じゃあ祟り専門の殺し屋なんてのもいるのか?)

頭が痛くなりそうだ。

「お義姉さんではない、他の誰かなら対処できるかもしれないと」

「そう思ってくれて構わないわ。
 ――妹、聞いてるんでしょ。入ってきていいのよ」

志乃が半開きのドアをすり抜けて事務所に入ってきた。

「春海、大丈夫だよね」

「さーねえ。ちょっとあの世に口利いて調べてもらうわ」

「あの世って?」

「あの世はあの世よ」

お義姉さんの頭上から、スポットライトのような光が射す。

「なんすかそのエフェクトは」

「ここ、あの世に直結してるのよねー。ちょっと行ってくるからテキトーに過ごしててちょうだい」

お義姉さんは天に召されるように、上に上に吸い込まれて、天井に頭が当たりそうになったところで消えた。

「志乃、お義姉さんのあんな退場見たことある?」

「いや、あのバージョンは初めて。いつもすいーっと出てきて、すいーっといなくなっちゃうもん」

そもそもこんなオフィス街の一角にあの世直通の霊道チックなものがあるなんて知らないぞ。
いや、知らなくて当たり前なんだけど。

(せめて場所選べよ……。オカルトなことが起こっても受け入れられそうなところにさー)

僕は判決待ちの被告のような気分で取り残されてしまった。
志乃がいつの間にかコーヒーを淹れていた。

「いつの間に」

「さっき。飲む?」

飲む? と聞いてはいるものの、カップは2つある。
はじめから僕の分も淹れておいてくれたのだろう。

「うん」

僕は素直に受け取る。
そして、二人で長く長くため息をついて、途方に暮れながら同時にカップを口へ運んだ。

「志乃はさ」

熱い液体が舌に触れる。
やっぱり熱々のうちはまだ飲めない。

「んー?」

「やっぱり見えてるの、呪い」

「割と」

志乃はカップをテーブルに置いて、手指をばらばらに動かした。
王虫の触手のイメージだろう。

「前は見えてなかったんだよなー」

お義姉さんは「みえる人」みたいなものだから気にする必要はないと言っていた。
だけど、こうなったのはつい最近のことだ。

「やっぱヴァンプになっちゃったからじゃない? 前までは何ともなかったし」

「俺、人間だよな……」

「そーなんじゃない? 実際人間やめてみると、よくわかんなくなった」

「区別がつかんと」

「私が半分妖怪になったのはここ2~3週間のことだし、かと言って人間とはそう変わらないし……となるとさ、
 もっと私みたいなのいるんじゃないかなって思っちゃうよね」

「そう言われるとなー。案外みんな巧く化けてるのかもな」

まだ飲めそうにないので、僕もテーブルにコーヒーを置いて、ソファに座る。

「うーん、でも春海はなんか違うって思うことはあったかな」

志乃は難しい顔で、僕の隣に腰を下ろした。

「変人のつもりはないぞ」

「変っていうか、違うって思ったんだよね」

「そのニュアンスの違いを詳しく」

志乃はおろした髪の毛先を指に巻き付けては離している。

「そうだなぁ。あの、やっぱり私が変質者に尾行されたときの話に戻るんだけどさー」

あの事件がなければ、僕は志乃と話すようにはなっていなかっただろう。
いつどこで縁ができるかわからない。

「実は、周りには他にも顔見知りの人いたんだ。
 私に気付いてなかったり、向こうがグループで動いてたから行きにくかっただけで」

「選択肢はいくらかあって、結果俺を選んだってことか」

「選んだっていうか、そのときは怖かったから直感だよね。この人についててもらえば大丈夫だって思った」

「なに、運命感じてたの?」

「それはない」

「切り捨てるなぁ」

「だって当時は名前と顔がやっと一致したくらいだよ。惚れた腫れたなんて言い出すには早すぎるよ」

「なるほどねー」

「まあ、その、そのとき春海を選んだ判断が働いたのは、何かが違うっていうところに反応したんだと思う」

「何かねえ」

「何か……気配とか匂いとか、そんな単純なものでもない気がするけど、抽象的すぎてよくわかんない」

「お前にわかんなきゃ、俺にもわからないよな」

「だからさ、人間かどうかなんて結構曖昧でいい加減なんじゃないかなって思うわけよ」

「だから、って話が繋がってないような気がするんだけどな」

「しょーがないじゃん。印象の話だもん。私は馬鹿じゃないけど、春海ほどきれいに喋れないしー」

「そう言い切られると、俺はそれを丸ごと飲み込むしかないんだなぁ」

「あたし、あんたのそーゆーとこ好きだけどね」

志乃は「ふふふんっ」と一人で楽しそうに笑うと、一気にコーヒーを飲み干した。
カップに触れると、しっかり持つことができるくらいにはぬるくなっていた。
口に近付けて、少し吹いてから飲んだ。

「朝ごはん買ってくるー。角にカフェあったじゃん。朝カフェとかビジネスパーソン(笑)ぽくない?」

きっと彼女の頭の中では、読めもしないニューヨークタイムズが広げられているのだ。

「うんうん。ぽいぽい。俺、ツナサンドね」

ズボンのポケットを探ると、500円玉が入っていた。
それを志乃に渡す。

「うああ、ぬるい。硬貨が人肌だよう」

「懐であたためておきました」

「じゃ、ちょっと行ってくるー」

彼女は休憩室に財布を取りに戻り、出ていった。
出ていこうとしたところで振り返り、

「ねえ、こうやってお財布だけ持ってビルから出るのってOLっぽくない?」

と言った。なんでそんなに楽しそうなんだ。

「うんうん。それっぽい」

志乃が元気だと安心する。
見送って一人になると、やっぱり事務所は静かで広くて、心細かった。
この際あの子猫でいいから、そばに居てほしいと思った。

しばらくして、志乃が帰ってきた。

「ただいまー」

「おう、おかえり」

「ほい、ツナサンド。と、おつり」

と、紙袋とポケットを探って僕に手渡す。
僕は礼を言って受け取った。
志乃は僕の隣に座って、袋からクッキーを出した。

「それじゃ足りないだろ」

「私はもう朝ごはん済んでるもーん」

「あー……」

(そういえば今朝は2回分精液を補給したな)

「お腹は空いてないんだけどさ、人間の食べ物は口にしていたいんだよね」

「食べ物が変わるって、怖いよな」

それはつまり、体質の変化だ。
それイコール正体の変化だ。
今までの自分とは違う、別の自分になった証左だ。

「おねーさんには感謝してるけど、やっぱりなるべく人間でいたいと思うよ」

だから志乃は戦わない。
呪いに対しても常識の範疇で解決したがる。
あくまで人間の能力の範囲内で、お義姉さんに協力したがっている。

「そうか」

気の利いたことが言えない。
なるべく多く具が入るようにツナサンドをちぎって、志乃の口に押し込んだ。

「んぅ……」

彼女は腑に落ちないといった表情で、何か言いたそうにしながら咀嚼している。

「美味いか」

うなずく。

「よかったな」

「……うん」

志乃が小袋からクッキーを一枚、僕の口に押し込んだ。

「おいしー?」

「うぅ……」

僕は今、変な顔になっていると思う。
具体的には、しょっぱいものと甘いものを口の中で同時に処理してまずいのをこらえているような顔だ。
あまりよく噛めないうちに飲み込んだ。

「まずい……」

「ちぇー」

「俺の口が空いてるときにしてくれ……」

「すまん」

そういう志乃の顔は、ちっともすまなそうじゃなかった。
それどころか嬉しそうですらあった。

ふと、事務所の所長席の近くに光がまっすぐ射した。

(この演出は要るんだろうか)

僕は黙ってお義姉さんの降臨を待つ。

(吸血鬼って、ほんとはもっと凶々しくなきゃいけないんじゃないか?)

「ただいま。あなた達、いつ見てもラブいわね」

「いやんー」

志乃が僕の袖をつまんで下を向く。
お義姉さんはその様を、目を細めて眺めていた。


――私はあの子が可愛いの。


心が暖まる一方で、志乃が人間であろうとしている事実をお義姉さんがどう取るかと思うと、少し寂しくなった。

「それで、あの、どうでしたか。調べてみて」

「……結論から言った方がいいのよね?」

「それを言うってことは、俺にとっていい答えじゃなさそうですね」

お義姉さんは唇を真一文字に結んで、膝の上で組んだ指を動かしていた。

「言ってくれて大丈夫ですよ。あなたを待ってる間、主文後回しを言い渡された被告の気分だったんです」

自分でも、妙な喩えを持ち出して饒舌になっているとわかる。
ちっとも大丈夫なんかじゃない。
ほんとは答えなんか知らないで、志乃と昼まで寝ながらいちゃいちゃしていたい。
猫や神田さんと上木さんのこと、呪いや祟りのことなんか忘れていたかった。

「わかった。言うわ」

志乃が僕の指を握る。
柔らかい力だった。

「義弟は祟られてる」

これで、今度こそ本当に絶望できる。
胃の底が持ち上がるように、吐き気が起こった。

「詳細はまだ調査中だけど、君のご先祖様が猫を殺してるわ」

「そう、ですか……」

それだけ、絞るように言えた。
自分が超自然的な脅威に晒されていることへの怯えがあった。

現代と倫理観や死生観が違うとはわかっていても、遠い昔の身内が、
かわいらしい動物を手に掛けていたことへの嫌悪感があった。

「ただ、気になるのは、その祟ってる子猫が口ばっかりってことね」

「口だけ?」

志乃が聞き返す。

「そう。小さな子供が、意味もわからないで、なんとなく覚えた言葉を繰り返すような――そんな感じ」

「エントロピーとかゲシュタルト崩壊みたいなもんですか?」

「それじゃ男子じゃん」

「男子だけどさ」

「人間の子供はカタカナが好きなの?」

「いえ、いいんです。先に進めてください」

「言ったとおりよ。その子猫、口では祟る祟ると言いながら、義弟に危害を加える気が全く見受けられないの」

「それはそれで――」

「不気味でしょう?」

僕は、肺の空気をはっきりしないうめき声と共に排出して、少しえづいた。

「私も、もっと早くに気づくべきだった」

お義姉さんは少し、うなだれたように見えた。

「仕事中に起こることなら、私がついてれば大丈夫だと思ってた。
 だけど、君の場合は生まれる前から仕掛けられたものだった。
 それでも、違和感には気づくべきだったわ」

「あの、俺、そんなにピンチなんですか」

「わからない。言ったでしょ。調査中だって」

「じゃあ、悲観的にならなくても……。俺がショック受けて立ち直れないならわかりますけど」

「耳が生えてるのよ」

「耳?」

「あとしっぽ」

「は?」

「義弟の魂に、猫耳と猫しっぽが生えてるのよ」

そう言ってお義姉さんは頭を抱えた。
志乃が唇を噛む。
さすがに猫好きでも、喜べない状況だと感じているらしい。

「おそらく、君で七代目」

声がくぐもって聞こえる。
耳がざわざわする。

「あの、先天的なものだったなら、なんで今頃になって現象として出てきたんでしょうか」

生まれつきの体質みたいなものなら、もっと昔から特異なことは起こっていたはずだ。

「妹は、ゆくゆくは義弟の子供が欲しいでしょ」

志乃が短くうめいて、顔の前で手を振る。

「ああああたしお茶、い、淹れてくる!」

思い切りどもりながら言うと、給湯室に逃げてしまった。

「お義姉さん、唐突すぎますよ。からかってるんですか」

「私は真面目よ。妹もまんざらじゃないはず。
 今になって猫が自己主張してきたのは、君がつがいとなる雌を手に入れたと判断されたからよ」

「つがいとか雌とか言わないでくださいよ……」

もうちょっとロマンのある言い方でお願いしたい。

「おそらく、その猫は生まれ直そうとしてる。
 よくある話でしょ? 生まれた子供に化け物の特徴があって、それと対面した親が発狂――」

「天狗じゃ、天狗の祟りじゃー」

「ま、そんなとこね」

この年で親になりたいとは思わないが、そのうち子供が欲しいとは思うだろう。

志乃が茶器をカチャカチャさせながら戻ってきた。

「うー、きまずいー」

「さすがにな」

志乃が人間をやめているにも関わらず、僕の中の猫が志乃を「つがい」と判断したということは、
僕は志乃と子供を作れるということなんだろう。
僕にはまだ早いが、それでも安心した。


振動音が聞こえる。


「誰か、携帯鳴ってる」

志乃もお義姉さんも気付いていない。

「私じゃないよ」

志乃がポケットを押さえて言う。

「あら、じゃあ私?」

お義姉さんが木製のデスクから、鞄を引っ張る。

「ああ、あの世からだわ。普通に話しかけてくれればいいのに――はい、ナオミの部屋です」

(あの世から着信アリって怖いな……)

「ああ、すみません。お疲れさまでーす。
 で、お願いしてる少年の調査の件なんですけど、ああ、そうですか。
 あー……それは……うーん……ああ、本人に話してみます。
 あ、はい。また何かわかったらお願いします。
 すみません、お手数かけますが。はい。失礼します」

(お義姉さんがまともな社会人に見える! スゲエ!)

お義姉さんのまともな振る舞いに、自分の危機そっちのけで衝撃を受けていた。
お姉さんが二つ折り携帯を畳んで、僕に向き直る。

「よかったわね、義弟のご先祖様は、わざと猫を殺すような人じゃなかったわ」

「それじゃ――」

「悲しいわね。事故というか、誤解というか……。
 そのへんで人さらいに連れていかれそうになった娘を助けようとして、娘の猫が人さらいに飛び込んだ。
 そのタイミングで――」

「人さらいと一緒に斬ってしまったと」

「そんなところね」

確かに事故だ。飼い主である娘に危害を加えようとしたのは人さらい。
だけど、猫が死んだのは、斬ったのはご先祖様。

「過失致死ですね……」

だけど、殺してしまったのは事実だ。
猫も事情を汲んではくれないだろう。
志乃は沈痛な面もちで聞いている。
動物や女子供が痛い目に遭う話は嫌なんだろう。
僕だって嫌だ。

「春海は、どうなるの?」

志乃がぽつりと聞いた。

「その猫ちゃんと話してみなきゃわからないわね」

肝心の子猫は、僕の魂と融合してしまっている、らしい。

「でも夢にしか出てこないし、ロクに話せませんよ」

あの赤い空と海の空間でも、猫はか弱く、可愛らしく鳴くだけだった。
話した言葉は、祟ると告げた一言だけだ。

「死人に口を作るとかー」

お義姉さんが視線をやや上に飛ばしながら呟いた。

(嫌な予感しかしない……)

「やーねぇ。喩えに決まってるじゃない」

「シャレになってないんですよ、お義姉さんの言うことは」

この人と関わり始めてから、多少の非常識は常識のブレの範囲内に納まるように思えていた。
ただ、今まで認識してこなかっただけだ。
猫に喋らせるのだって、術者がいるのかは知らないが、降霊術でもやりだすんじゃないかと思っていたところだ。

「夢で会ってらっしゃい」

彼女は僕に立てた指を突きつけながら命じる。

「さっきまで寝てたのに……」

「俺、眠くないですよ」

自分が完全には自分じゃないと告げられて、混乱している。
今はまだ飲み込めないでいるが、そのうち自我が揺らいで不安でたまらなくなるのかもしれない。

僕はまだ、そういった「仮定」や「予測」に対して恐れている。
祟られている当事者の自覚はできたけど、そのへんの危機感は薄い。

「寝なさい」

「仮に会えたとしても、あの猫、触らせてくれないんですよ」

「じゃあ、これを持っていくといいわ」

「持っていくったって――」

僕が言うのを無視して、彼女は上を向き、自分の手を口に突っ込んだ。

「うえぇ……」

志乃がもらいゲロしそうな顔で僕にすがる。

(こいつはお義姉さんが口から物を出すの、初めて見るんだったな)

まさか僕に、佐伯さんの事件のときに使った剣を持たせるつもりじゃあるまいな。

(あれはキツかったなぁ……ぶったぎられた黒い触手が、床でビチビチと跳ね回りながら消えてくの……)

思い出してぞっとする。
やっぱり、あんなもの志乃に見せなくてよかった。
僕も、志乃と一緒に目を反らした。

「ん、これ」

お義姉さんが僕に何か差し出す。
嫌々視線を戻すと、お義姉さんの手には猫じゃらしがあった。

(この人の口は……どこに繋がってるんだ……)

「なんつーか、ベタっすね……」

猫じゃらしを受け取る。
特に変わったところはなく、そのへんに生えていそうなものだ。

「王道と言ってほしいわね」

彼女はため息をついて、腕を組んだ。
志乃は不思議そうに、お義姉さんの口元と猫じゃらしを見比べていた。

「さ、義弟よ。準備はいいわね」

「よくないですよ。俺、眠くないですよ」

「うっさいわね。夜まで待てっていうの?」

「せめて昼まで……」

言い終わらないうちに、お義姉さんの手が僕の眼前にあった。
丸めた中指が伸びる力を、親指の腹で溜めている。
額に衝撃が走り、意識はブラックアウトした。


**********

僕はまた、海辺に倒れていた。
波が膝まで濡らして、引いていく。

(またここか……)

一度の挑戦で、狙った場所に来れるなんて、運がいいのかもしれない。
目を開けると、やっぱり空は赤くて、太陽も月も、雲も星もなかった。
手にはお義姉さんに持たされた猫じゃらしがあった。

(まさかこれが守ってくれるわけないよな……)

体を起こして、あぐらをかいた。
きっと待つしかない。

相変わらず寂しいところだ。
初めてここを見たときは胎内のイメージだと思ったけど、ここには胎教だと言って語りかけてくれる母の声はない。

そして、性懲りもなく僕は、祟られていても構わないから、あの子猫が恋しいと思った。

――ニャーン。

どれくらいそうしていたかわからないが、丸めた背中の後ろで猫の声がした。
背筋が伸びる。
振り向くと、例の小さな三毛猫がいた。

「おいでおいでー」

ちっちっ、と口を鳴らしながら猫じゃらしを振る。

(祟るような猫が、こんなオーソドックスな手に乗るかな……)

半信半疑で猫を挑発する。

(まさかなー)

子猫は猫じゃらしの先端を凝視している。
とりあえず、リズミカルに、時に変則的に動かしてみる。

子猫はテンションが上がってきたのか、両手で挟み込もうとしたり、たたき落とそうとしたり、くわえようとしたりしている。

(オカルトのくせに可愛いな)

ひとしきり遊ぶと、猫は砂浜に背中を擦りつけるように仰向けになり、くねくねと動いた。
触っていいのか、話しかけていいのかわからず、僕は黙ってみている。

「ニャーン」

「撫でていいのか」

相変わらず、時折前足を伸ばしてくねくねしている。
そっと腹を撫でてみる。
柔らかい毛が気持ちいい。

「いい子いい子」

猫は長くなっている。

(癪だけど、お義姉さんは正しかったな)

どう話したものだろう。
「七代祟る」と言葉を発したからには、人の言葉で意志疎通を図ることはできるのかもしれない。
でも、何から聞いたらいいんだろう。

腹を撫でる手が止まる。
手のひらがあたたかい。

(僕のご先祖様は、こいつを殺してしまってるのに)

急に後ろめたくなって、申し訳なくなって、僕は奥歯を噛んだ。

「ごめんな」

猫を抱き上げる。
すっかり気を許してくれているらしく、僕の腕の中でおとなしくしている。

前足で二の腕をフミフミする動作がたまらなく可愛い。
猫は丸い目で僕を見つめ、「なーん」と甘えた声を出す。

「こんなに小さいのに。まだ生きてたかったよな」

指先で、掻くようにしておでこを撫でてやる。
動物は意外と賢い。話しかけてみれば通じるかもしれない。

「母上死んじゃった。ぼく、まだ生まれてないのに」

男とも女ともつかぬ、幼児の声だった。
猫の口が動いている。
声は頭の中に響いて、そのまま加速しながら頭蓋の内部を何度か反射する。

「ぐぅ……っ!」

いきなり偏頭痛の最高潮がきたみたいだ。
油断しきっていたところに吐き気が込み上げたが、なんとかこらえた。

「七代祟るって言ってたよ。おなかのなかで聞こえたにょー」

(お腹の中――?)

「母上、死んじゃった」

(生まれてないってことは、死んだとき、こいつは胎児だったのか?)

「母上かわいそう。冷たくなりながら、ずっと心配してくれた。ぼく、さむかった」

斬られて死んだ猫は、こいつじゃなく、こいつを身ごもった母猫だったのか。

「母上、なにも言わなくなった。かわいそう」

ということは、母猫が息絶えた後、少しの間、子猫は胎内で生存していたことになる。

「ひとり……ひとりはいやだ……」

僕の口から言葉が出ていた。
僕の意思じゃない。僕の体を、僕の声を借りて喋っている。

――ニィ、ニィ。

上げられることのなかった産声が、頭の中で主張する。

僕は今度こそ吐いた。
さっき、志乃が買ってきてくれたツナサンドを食べたばかりなのに、吐いたのは胃液だけだった。

(ああ、このへんはちゃっかり夢の中なんだな)

こういった、大したことないポイントでも観察してないと、冷静でいられない。
子猫は、まだ僕の口でぽつぽつ話し続けている。

「母上、さいごに七代祟るって言った」

それは遺言なんかじゃない。

(おまえの母さんは、今わの際の向こうまで、死んでも主人の為に立ち向かおうとしたんだよ)

「たたるって何だろう」

(やめとけよ。七代は長いよ)

「たたったらどうなるんだろう」

(ろくなことにはならないよ、きっと)

このときには、猫の気持ちは理解できていた。
生まれたときから、生まれる前からずっと一緒だったのだ。
この体と魂を使い続けてきたのが、僕一人ではなく、いたいけな化け猫だったというだけのことだ。

子猫は七代の間、母の最後の言葉を反芻してきた。
自分を慈しんでくれた母。
最後に一言、七代祟ると言い残した。

母の発した言葉なら、良いことに違いない。
命を振り絞った言葉なら、すてきなことに違いない。
子猫はそう信じて、その言葉の意味を知らず、僕の家系に憑いてきた。

恐ろしいような、気の毒なような気分になったが、それでもやっぱりこいつにある種の情が湧いていた。

見えない手が、僕の肩をつかんで揺する。

「そろそろいかなきゃ」

これは僕の思考だ。

「またくる? またあえる?」

「うん。たぶん」

子猫は名残惜しそうに口を開いた。
小さいが、歯はりりしく尖っている。
僕はそれを見て、少し嬉しくなった。

赤い空が白み始める。
夢が終わる。

**********



目を開けると、向かいにはお義姉さんが脚を組んで座っていた。
志乃が僕の手を握っている。
頬がすうすうする。
ティッシュが差し出される。

(あー……泣いたのか……)

気まずい。

「春海、うなされてたよ」

「うーん、いろいろと複雑でな――ちょっと顔洗ってくる」

洗面台に行って、顔を洗って戻る。
冷水に触れると、少し気分がすっきりした。

猫には猫の事情があるのだ。
事情がややこしいのは人間様だけじゃない。

「それで、何がわかった?」

お義姉さんがあごを引き、上目遣いに僕をにらむ。

「俺に憑いてるのは、ご先祖様が殺した猫が妊娠してた赤ん坊みたいです」

三毛猫で、自分のことを「ぼく」と言っていた。

(もし男の子ならすげーレアだな)

「夢の中では、ちゃんと生まれてきて、ちょっと成長したらこうだっただろうな、って姿で出てきてました」

手が勝手に動いて、「これくらい」と猫の大きさをジェスチャーする。

「それから、七代祟るって言ったのは母猫だそうで、子猫はそれを良い言葉と思いこんで過ごしてきたみたいです」

僕から話せるのはこんなもんだ。
志乃が隣で悲しそうな顔になっているので、背中を軽く叩いた。

「じゃあ、勘違いだったっていうの……」

お義姉さんが頭を抱える。

「まあ、誤解ですよね」

「誤解で片付くほど簡単じゃないわ。君は言葉の力をナメてる」

頭を抱えた腕の間から、お義姉さんの眼光が僕を射る。

「キャンセルはきかないんですか」

弱気な発言をはばからない僕。
今は、少しだけ子猫と共生してもいい気分だったのだ。

「七代の間重ねてきたものに、理論で対抗できると思う?」

「猫は可愛かったけど、祟りそのものは強力そうですね。もし実現するなら、の話ですけど」

「実現する恐れがあるから面倒なのよ。もうすぐあの世から連絡がくるわ。今日は帰れないわよ」

覚悟なさい、とお義姉さんが僕に指をつきつける。

「俺、えらいことになるんですか」

「それはわからないけど……こうなった以上、ありきたりだけど、供養してあげなさい」

「どうやって――」

「その場所を今、調べてるところなのよ」

「あたしも戦う」

志乃が拳を握る。

「志乃、たぶん今回はそういうのじゃないんだよ」

「でも、なんとかしないと春海が――」

「実力行使の前に、ちゃんと弔ってやるべきだろ」

「うぅ……」

「志乃、相手は、元々は親子の猫だよ。呪ったり呪われたりするような人間よりは可愛いもんだろ」

「話が通じるとは思えないよ……」

「通じないかもしれないけど、俺の中の子猫はいい子だったよ。母ちゃんには会わせてやりたいだろ」

「うん……」

志乃はひどく逡巡しているようだった。
僕の手からくたびれた猫じゃらしを取ると、その茎をぽきぽきと折り曲げてため息をついた。

また、携帯が震えた。
お義姉さんは着信を待っていたようで、1コール目で出た。

「――はい。ああ、どうも……」

彼女は相槌をうちながらデスクに向かい、手近な紙にメモを取る。

「わかりました。本人を向かわせます。――早急に」

(本人って、僕のことだよなぁ……)

「ありがとう。失礼します」

人間のようなやりとりを終え、彼女は僕に向き直る。

「場所がわかった。行けるわね。今すぐ」

僕に拒否権はない。
心の準備はできつつあるけど、覚悟は決まっていないようだ。
「はい」とは口に出して言えず、首を縦に振った。



―――――土曜日・昼・車内―――――

僕は一旦帰宅して、一泊分の荷物を準備した。
家族には泊まりになると告げた。
お義姉さんには、山に入るのだから上着を持ってこいと言われた。
まだ九月でピンとこなかったけど、従った。

それで僕は今、後部座席で志乃と揺られている。

「義弟のお母様のルーツは、そう遠くなかったわ」

鞄を探り、畳んだ地図を僕に渡す。
見ろ、ということらしい。
隣県との県境にある山に、印があった。

「山じゃないですか。もっとこう、城下町みたいなんじゃないんですか」

なるべくなら、人里から離れたくない。
生活から遠のくほど、不条理で超自然的で、僕の理解を離れた場所に入ってしまう気がした。

「それに、リアルな話、熊とかイノシシとか出たらどうするんですか」

「盾があるし、私を呼べばいいじゃない」

「そんなぁ……」

盾は不完全だし、なぜあのとき成功したのかわからない。

「私も行く!」

「妹はだめよ」

志乃はルームミラー越しにお義姉さんをにらんだ。

「不満そうね」

「当たり前じゃん。おねーさんは春海が心配じゃないの」

「これは義弟の血の問題よ。部外者が手を出さないほうがいいこともあるの」

志乃はうつむき、歯噛みした。

「部外者じゃないもん」

微かだけど、そう聞こえた。

―――――土曜日・日の入前―――――

道中休憩を挟みながら、お通夜ムードな車内で約3時間を過ごし、とある温泉宿に到着した。

「まさかまったり裸のつきあいで猫と和解できるなんてことはありませんよね」

「ないわね」

「よく当日で予約取れましたね」

「なぜか急にキャンセルが出たらしいのよねぇ。なぜか」

(あの世から何かの力が働いたに違いない……)

あまり追求しないでおこう。

部屋に案内され、くつろぎたいところだけどそんな気分じゃない。

「さ、入ってらっしゃい」

「あの、こんなときに風呂なんて――」

「身を清めておきなさいって言ってるのよ。猫ちゃんのお母様に会いに行くんでしょ。
 山の神の機嫌を損ねたらどうするの」

迷信を信じるおばちゃんみたいな言葉だけど、お義姉さんがそう言うからには、山の神もいるんだろう。
僕は言われるままに浴場に向かった。

体を洗って、熱い湯に体を沈めた。
縁のぬめった石に頭をのせる。

(どこからどこまでがオカルトなんだか……)

僕には呪いが見える。
でも、山の神は見えない。
僕には猫の言葉がわかる。
それはたぶん、先祖代々脈々と継がれてきた猫の祟りによるものだろう。

湯けむりの向こうには、山がある。
僕が行かねばならない山がある。

(こいつの母ちゃんに会えたところで、俺、どうしたらいいのかな)

僕は、僕の中の子猫に対して何の恨みもない。
怖いとは思うけど、それはこれから起こるかもしれない祟りに対してであって、子猫は悪くない。

(できれば、親子一緒に成仏するのが一番いいんだろうけどな)

お義姉さんは、猫耳と猫しっぽの生えた僕の魂を見てショックを受けていた。

(ってことは、簡単には分離できないんだろうなぁ)

七代という時間を考えて、僕はめまいがした。
のぼせてしまったのかもしれない。

体を拭いて、部屋に戻った。
二人が神妙な顔で正座している。
もっとくつろいでくれていいのに。

「ああ、戻ったわね。座って」

言われるままに、志乃の隣に腰を下ろす。
卓の上には二人分の茶が出ていたが、手がつけられていないようだった。

淹れてみたところで、飲んで一息つく気にはなれなかったのだろう。
まだ十分髪を拭けてなかったようで、雫が首を伝ってひやりとした。

「もう少しで日が落ちる。昔の人が、この世があの世の支配下にあると考えた時間よ」

「まあ、真っ暗だとそう考えたくなる気持ちもわからなくはないですけど……今、そんなに暗いですかね」

「今の君、相当夜目が利いてるはずよ。
 すぐに夜になる。イヤでも認めるしかなくなるわ」

子猫の影響か。

「それで、春海はどうするの?」

汚れてもよさそうな服に、玄関にはしっかりしたスニーカー。
志乃はほんとうについてくる気だったらしい。

「日の入りと同時に山に入って、母猫に会うのよ。
 義弟の中の猫ちゃんが連れてってくれるはずよ」

「一人でも出来るの?」

「たとえば――妹、墓参りは一人でできる?」

「できるよ。墓地には一人で行きたくないけど……」

「そういうことよ。一番大事なのは想ってあげること」

「そうだよね。やっつけに行くんじゃないもんね」

志乃が湯呑みに視線を落とした。
少しは安心できただろうか。

「私は外で待ってるから、着替えたら出てきて」

そう言うとお義姉さんは立って、部屋を出ていった。

「着替えたらって、手ぶらでいいのかな」

「さー?」

志乃がテーブルに突っ伏す。

「心配すんなよ。こいつの母ちゃんにバッチリ謝罪キメてくる」

「そのノリが出てくるあたり心配だ」

信用できない、といった視線をよこしてくれる。

「お前は祈っててくれたらいいからさ。お義姉さんと一緒に温泉でも浸かりながら」

「そんな気になれないよ」

「でも、今回動けるのは俺だけだよ。そりゃ、理不尽だとは思ってるよ。俺は悪くないからな」

「うん。春海悪くない」

「でも、知っちゃったからな。なんとかしてやりたいだろ。それが俺の為でもあるし」

「…………」

志乃も馬鹿じゃない。
理解はできてるけど、納得いかないだけだ。
今回は憎むべき敵も反吐が出そうな考え方の関係者もいない。
ただ、気の毒な猫の親子がいるだけだ。

重い腰を上げて山歩き用に詰め込んできた服に着替える。
父から黙って借りたリュックサックには、気休め程度にチョコレートと懐中電灯、ホイッスルなんかが入っている。

「志乃、そろそろ行くよ」

彼女はうつむいて返事をしない。
割り切れと言うほうが無理だろう。
逆の立場だったら、僕だってギリギリまでついていこうと粘っただろう。
靴を履いて、戸に手をかけたときだった。

「まって」

彼女は大きな歩幅で一気に距離を詰めて、ぴったりと僕に体をつけた。
僕はドアと志乃に挟まれている。身動きできない。

戸惑っていると、志乃が強く唇を合わせてきた。
妙に積極的で、珍しく自分から舌を突っ込んで僕のに絡ませてくる。
僕の手が彼女の体をまさぐろうとしたところで、唇が離れた。

今のは、彼女なりにがんばったんだろう。
志乃は僕の肩に頭をつけて、もじもじしていた。

(何を言ったものかねぇ……)

かっこよくキメたものか、コミカルに余裕をアピールするか。

「――お」

「ん?」

「大人のキスよ。か……帰ってきたら、つっ、続きをしましょう……」

照れ隠しに引用に走るあたり、平常運転か。
待つだけなのはつらいけど、がんばれ志乃。
がんばれ僕。

「それ、お前が死ぬフラグだぞ」

「まじすか」

「あの後、絶対ミサトさん死んでるだろ」

「あちゃー」

彼女は壁にもたれて情けない声を出す。
使いどころを間違えたことがショックなのか。

「ま、行くしかないんだな。俺は」

「うん……」

今度こそ靴を履いて、戸をあける。

「春海!」

「なに」

「あのっ、帰ってきたらあんなことやこんなことしちゃうぞ! だから無事に帰ってこい!」

「はいはい。何してもらうか考えとくよ」

「それじゃ、いってらっしゃい」

「うん。いってくる」

僕は部屋を後にした。

玄関の前に、お義姉さんが車を回してきていた。
彼女が車に乗るよう促したので、僕はそうした。

「遅かったわね。これからのこと考えたら仕方ないけど」

「やっぱり怖いですけど、このままじゃ俺、もっと悪いことになるんですよね……。
 それなら、今なんとかしようって決心つきました。怖いけど」

「ヘタレなんだか勇敢なんだか……」

お義姉さんはつぶやくと、そのまま数分車を走らせた。
車は山道に少し入ったところで止まった。

「その荷物は置いていきなさい」

車を降りようとした僕を、お義姉さんがリュックをつかんで制止した。

「遭難とか熊とかどうするんですか」

「あの世の入り口に、そんなんあると思う?」

「それは知りませんけど」

「今回は特殊なの。山歩きとは違うのよ」

「あまりごちゃごちゃ持ち込まないほうが、早く会えるってことですか」

「早いかどうかはわからないけど、いらないものが多いといつまでも会わせてもらえないわね」

僕は荷物を背中からおろして、助手席に置いた。

「私はついていくことはできないけど、危なくなったらいつでも呼びなさい」

「それじゃ――」

「確かに私が介入した時点で失敗。別の手段を講じることになる。それでも、一番大事なのは今の君よ。
 未来の君は大切。七代の時間を過ごしてきた猫の救済も大切。
 でも、それも今の君が無事でなきゃ叶わないわ」

「わかりました」

「山に入ったら道なりにまっすぐ行きなさい。暗いけど、自分の目を信じて。
 君は一人だけど、ひとりじゃない」

「子猫といっしょ、ですか」

「離れてるけど、私たちもついてる」

「そうですね」

お義姉さんは、まだ何か言いたそうにしている。
日が沈もうとしている。

「それじゃ、無事で」

「ええ、いってきます」

僕は手ぶらで歩き始める。
夜の防寒対策はしているものの、これで遭難して、救助されたらバッシングされそうだ。

夜になったと判別できるが、道は見える。
左右には林が広がっている。
もうすこし道をそれたら沢があるんだろう。

(確かに、僕の目は今までとは違うんだな)

人間離れしていく自分に寒気を覚えながら、僕は視線を落として、自分の歩く道以外のものをみないように足を運び続けた。

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ジャンル : 小説・文学

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